夜にハリーを一寸励ます
手術は怖い・・・いや、される側の話です。私も過去に咽頭手術、胃切除、二度の眼科手術、口腔外科手術を受けましたが、命に関わらないと分かっていても怖いものでした。ましてや脳手術となれば、患者の不安はいかばかりか。知性と命を、他人である執刀医に委ねるのですから。
「脳外科医アダムスのルール」(クリス・アダムス 著、佐藤周三 訳、医学書院、2001年)という本に、標題の章があります。原典はシェイクスピアで、国王ヘンリー5世が数で優勢な自軍を、戦いの前夜に励ますエピソードです。英国OxfordのRadcliffe病院脳外科部長である著者は、脳手術は患者の一生で最も重要な出来事なのだから、成功するに違いなくても「一所懸命やりますから任せて下さい」と励ますことが大切で、この一言が患者を非常に安心させると説きました。爾来20数年、予定手術前夜あるいは当日早朝に「お任せ下さい」と患者を励ますことが、執刀医としての私のルーチンになりました。高難度手術のリスクは十分説明して承諾書に署名を頂いているのだから、直前にあらためて不安を煽るメリットはどこにもありません。もちろん手術準備(シミュレーション)は最も大切で、準備万端と自信を持って言えることが条件ですが。
現代医療に上から目線のパターナリズムは無用、逆に「患者サマ」と過剰な謙譲も無用、人間として対等に接すれば良いと思います。でも専門知識を持ち凶器を合法的に使うことを許された外科医には、決戦前に静かに相手に寄り添うちょっとした優しさが必要だと、ずっとアダムス先生に教えられています。
近畿大学医学部脳神経外科
髙橋 淳