脳神経外科コラム

記録の効能

凡人ながら30年以上も脳神経外科医をやってきたので、少なくとも自分の専門分野においては大抵のことを経験したと思っている。厳しい症例に遭遇した時、過去の経験は大きなヒントを与えてくれるのだが、悲しいかな、人間の記憶力には限界がある。さらに悪いことに、私たちの記憶中枢は「不都合な記憶」を積極的に消去したがるようだ(特に私の場合ひどい)。だからこそ、経験と学習の「記録」は効能絶大である。

 

脳神経外科に限らず外科医としての修練は、(1)病態解析、(2)画像読影(3)術前計画、(4)手術手技、(5)周術期管理、そして症例を通した(6)考察と(7)文献学習だと思う。

毎症例これらの過程をプレゼンテーションスライドとして克明に記録していけば、唯一無二のテキストになる。私の最初の10余年は紙カルテ・銀塩フィルムで、文献も図書館通いであった。幸い今は電子カルテ・PACS(医用画像管理システム)の時代となり、昔に比べればスライド作成効率は格段に良いし、文献もPubMedで一発である。

私自身の記録は卒後10年過ぎのスタートとなったが、今も難症例に遭遇するたびに、疾患別に分類した膨大な数のファイルの中から同類を参照できる。画像データも大切だが、「その時どういう理由でどう考えたのか」の記録が珠玉である。たとえそれが拙いものであっても、ファイルを開けば当時の情景が鮮明によみがえり、それは厳しい教訓を与える症例ほど顕著である。ひとしきり過去に浸った後、今対峙する症例にこれを活かすのである。

 

便利な時代になっても人間の不確かな記憶力は進歩しないし、むしろ退化を危ぶむ声すらある。これから本格的に外科医の道を進んでいく皆さんには、ぜひ今から詳細な記録を作成して欲しい(個人情報保護には要配慮)。日々多忙な中、たとえ面倒でも作業を積み重ねれば、将来間違いなく無二の宝になる。

「一例一例を大切にする」とは、そういうものだと思う。

 

近畿大学医学部脳神経外科

主任教授 髙橋 淳